プレインランゲージとユーザビリティ、アクセシビリティ
人間工学という学問分野がある。人間工学が提唱するのが人間中心設計で、利用者を中心に据えて機器やサービス(以下、製品)を開発する手法である。
一方、プレインランゲージは読者を中心に据え、読者の理解を促進するように文書を記述する手法である。それでは、人間中心設計からプレインランゲージに役立つどのような教訓が得られるだろうか。
ユーザビリティとは何か
人間中心設計の主要概念の一つがUsability(ユーザビリティ)である。英和辞典はユーザビリティを「有用性、便利なこと」と和訳している。
人間工学の国際標準には、もっとしっかりした定義がある。
ユーザビリティが高いと、指定された利用者は製品を使い続けるだろうし、他の人に製品を薦めるかもしれない。ユーザビリティは利用者をつなぎ止め、市場シェアを高めるのに役立つ。人間中心設計は市場競争に直結する製品開発手法である。
アクセシビリティとは何か
ユーザビリティを重視しすぎると、指定された利用者以外の人々は製品を利用できない状況に陥るかもしれない。情報通信分野で製品が利用できない人は、情報化が進む今では、経済社会から排除される。これらの人々も包摂する共生社会を築くために、情報通信分野ではアクセシビリティ(Accessibility)への政策的な重要性が高まっている。
アクセシビリティも国際標準で定義されている。
テレビ放送に字幕を付与すると聴覚での情報取得がむずかしい人や、放送中の言語が得意でない人にも理解しやすくなる。しかし、字幕を常時表示すると画面が煩雑になり、煩わしい。アクセシビリティに対応した結果、ユーザビリティの評価が下がる事態は避けたい。しかし、情報通信分野ではユーザビリティとアクセシビリティの両立が可能である。
ユーザビリティとアクセシビリティの両立
情報通信分野では、音声をテキストに変換する、テキストを音声に変換する、日本語を英語に翻訳する、特定の色を他色に変える、画面上のテキストと背景の色を反転するなどの技術が利用できる。これらを総称してメディア変換技術という。
聴覚障害者を支援するために、電話リレーサービスが利用されてきた。通話にオペレータが介入して、通話先の音声を聴覚障害者の前に置かれたディスプレイにテキストで表示する。聴覚障害者がテキストを打ち込むとオペレータが通話先のために読み上げる。オペレータが聴覚障害者と通話先の間をリレーするので、電話リレーサービスと呼ばれるわけだ。
電話サービスは音声が知覚できる利用者に高いユーザビリティを提供し、広く普及してきた。電話リレーサービスを加えることによって聴覚障害者までに利用層を広げられた。しかし、秘密保持義務があるとはいえオペレータに通話内容が知られてしまうという点で、聴覚障害者にとってユーザビリティは高くはなかった。音声認識技術が進歩すればオペレータを介す必要がなくなり、アクセシビリティとユーザビリティが両立する可能性が高まると研究開発が進められている。
メディア変換技術はアクセシビリティとユーザビリティ両立の切り札である。
両立を実現するいくつかの方法
ユーザビリティを高めるために、多様な利用者は多様な対応を要求する。しかし、たった一つの製品でアクセシビリティにすべて対応するのは、利用者間で相互に矛盾する要求があるのでむずかしい。すでに説明したように、テレビ放送に字幕を常時表示すると画面が煩雑になり、一部の利用者にとってはユーザビリティが低下するというように。
情報通信分野では、しかし、いくつかの方法でアクセシビリティとユーザビリティを両立させようとしている。
利用者をいくつかに区分し、各利用者層のユーザビリティを高める製品を複数提供するのが第一の方法である。スマートフォンは広く普及しているが、子ども向けには、機能を限定するとともに、紐を引くとブザー音が鳴る防犯ブザー機能などが付いた「キッズケータイ」がある。大人と子供に利用者を二分し、それぞれに適したスマートフォンを提供しているわけだ。
テレビ放送電波には字幕情報が組み込まれており、一方、テレビには字幕表示のオンオフボタンがある。放送「サービス」とテレビ「機器」の連動で、アクセシビリティとユーザビリティが両立する。これをヒントに、メディア変換技術を製品に組み込み利用者がオンオフできるようにするのが第二の方法である。
パソコンの基本ソフト(OS)には「アクセシビリティ設定」という機能がある。たとえば「ハイコントラスト」をオンにすると、背景色とテキストの色が反転する。利用者がメディア変換技術をオンオフできる実例である。
そもそも、「スマートフォン」はどこが「スマート」なのだろうか。所有者の要求に応じて、搭載するアプリも、アプリの並べ方も、アクセシビリティ機能も自由に設定できる「賢さ」が「スマート」の由来である。情報通信製品の多くは個人によって利用されるから、個人の要求に合わせてメディア変換技術をオンオフしても構わない。
手の動作が不自由な人がマウスの代わりにトラックボールを使う場合がある。トラックボールのようなハード技術とメディア変換のようなソフト技術を合わせて「支援技術」と総称する。
外付けの支援技術が接続できるように製品を提供するのが第三の方法である。今では音声読み上げソフトがパソコン・スマートフォンに標準装備されているが、かつては読み上げソフトは別に購入する必要があった。パソコン等から読み上げソフトにきちんとテキストが引き渡せれば、利用者は音声でテキストを理解できるようになる。
新型コロナ感染症の蔓延と共にネット会議が広く利用されるようになった。ネット会議の音声を音声認識ソフトに引き渡せば、字幕も議事録も自動的に作成できる。メディア変換の一種である音声認識という支援技術を用いて、音声で情報を取得できない人のユーザビリティが高められている。
情報通信分野ではユーザビリティとアクセシビリティの両立が可能である。多様な利用者に対応して多様な製品を提供する方法、製品にメディア変換技術を組み込みオンオフできるようにする方法、製品と支援技術が相互接続できるようにする方法などがある。
プレインランゲージへの教訓
プレインランゲージは読者を中心に据え、読者の理解を促進するように文書を記述する手法である。読者が文書内容を理解する際の「有効さ、効率及び利用者の満足度」、つまりユーザビリティを高める手法と捉えてもよい。
ユーザビリティを高める手法である以上、プレインランゲージで文書を記述する際には、読者を指定する必要がある。専門家向けの文書なのに、最も幅広い層の人々を読者と指定して記述したら、専門的な理解をかえって阻害するかもしれない。専門家ができるだけ迅速、容易にそして完全に内容を理解できるように書けば十分である。
しかし、対象と想定していなかった読書層には正確に内容が伝わらない恐れがある。これが、プレインランゲージで記述した文書のアクセシビリティ問題である。情報通信におけるユーザビリティとアクセシビリティの両立方法は、プレインランゲージのアクセシビリティ問題の解決方法を示唆する。
第一は、異なる読者を指定する複数の文書を提供するという方法である。政府は2021年3月に第6期科学技術・イノベーション基本計画を閣議決定した。基本計画本文は84ページに及ぶ長文だが、A4版一枚の概要が合わせて公開されている。詳細を知りたい専門家は本文を読むが、一般国民はまず概要を読み理解しようとするだろう。それでは、概要はプレインランゲージで記述されているだろうか。「総合知やエビデンスを活用しつつ、未来像からの「バックキャスト」を含め「フォーサイト」に基づき政策を立案し、評価を通じて機動的に改善」や「レジリエントで安全・安心な社会の構築」といった表現は、一般国民に通じるのだろうか。改善の余地が多分にある。
第二は、文書にメディア変換技術を組み込みオンオフできるようにする方法である。デジタル教科書には、漢字のフリガナがオンオフできる機能が付いている。漢字の読み間違えが多い難読症(ディスレキシア)の子どもも、フリガナをオンにすれば間違いが減る。自動的にフリガナを付与する技術にはまだ誤りが多いので、今のところ、教科書会社はフリガナなしとフリガナありの二つのコンテンツを同梱して提供している。フリガナ付与の自動化技術の発展が期待される。
教科書はもともと対象学年の子供が正確に理解できるようにプレインランゲージで記述されている。しかし、フリガナが欲しいといった個別の要求には答えられない。難読症の子供のために養育者とボランティアが協力した「美談」が先日報道された。デジタル教科書が普及すれば難読症の子どもに役立つし、養育者等の負担は軽減される。
第三は、支援技術を接続できるように文書を提供する。人工知能を利用した自動翻訳技術の進展は急速である。文書のテキストをデータとして引き渡せれば、自動翻訳を支援技術として英語化できる。
しかし、今のところ自動翻訳には限界があるので、主語がないというような日本語文特有の記述では誤訳が起きる恐れがある。「主語、目的語を省かない」というプレインランゲージの基本技法は、自動翻訳の精度向上に役立つ。
人間中心設計は利用者を中心に据えて製品を開発する手法で、市場競争に直結する。一方、プレインランゲージは読者を中心に据え、読者の理解を促進するように文書を記述する手法で、社会の理解に直結する。プレインランゲージには人間中心設計の知見を活用できる。
情報通信分野でのメディア変換技術の進展は、プレインランゲージにも役立つ。プレインランゲージで文書を作成する際には、メディア変換技術を利用できるように、紙よりもデジタルで記述するのが適切である。