2024.02.26

「やさしい日本語」からプレインジャパニーズへ:国際コミュニケーションの新潮流

庵 功雄さま
(一橋大学国際教育交流センター 教授)

1967年大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。大阪大学助手、一橋大学講師、准教授を経て現職。専門は日本語教育、日本語学。「やさしい日本語」研究グループ代表。著書に『やさしい日本語-多文化共生社会へ』『「日本人の日本語」を考える-プレイン・ランゲージをめぐって』など、共著に『「やさしい日本語」表現事典』など、多数。

庵 功雄さま<br>(一橋大学国際教育交流センター 教授)

ある社会が新たに言語的・文化的背景が異なる人々を受け入れる過程では様々な言語的調整が必要となります。日本でも、外国人受け入れが本格化するに伴い、非日本語母語話者(外国人)に対する言語的調整のあり方が本格的に論じられるようになってきました。そうした取り組みの1つに「やさしい日本語」があります。

「やさしい日本語」は当初、成人の外国人に対する情報提供のあり方を考えるものとして出発し、その後、外国にルーツを持つ子どもや障害を持つ人たちに対する情報保障へと対象を拡大してきました。こうした「マイノリティのための「やさしい日本語」」では、日本語母語話者である日本人が、不要な情報を削り必要な情報をわかりやすい表現で述べる「日本語から日本語への翻訳」を行うことが重要です。

「マイノリティのための「やさしい日本語」」は重要な取り組みですが、それだけでは十分ではありません。そもそも「やさしい日本語」に求められる「必要な情報をわかりやすく伝える」という特徴は、日本人が外国人と話すときにだけ必要とされるものでしょうか?そうではありません。次の例を考えてみてください。

あなたやあなたの親族が病気で治療が必要になったとします。その際、医師からの説明が専門用語だらけのものだったらどうでしょうか?こうしたインフォームドコンセント(納得診療)において「わかりやすい説明」が必要なのは決して外国人(非日本語母語話者)だけではなく、日本人(日本語母語話者)にも必要なことがおわかりいただけると思います。

同様のことは役所のことばについても言えます。日本では行政サービスは申請が基本です。つまり、行政サービスを受けるには市民が申請を行う必要があります。みなさんは役所から送られてきている「お知らせ」に目を通しているでしょうか?「自分には関係ない」「文章がわかりにくくて読む気がしない」といった理由で読んでいない方も多いのではないでしょうか。しかし、その結果、本来なら受けられたはずのサービス(例えば、助成金)が受けられなかったかもしれないのです。

以上からわかるのは、医師や役所の職員のような専門家が一般市民のような非専門家に説明するときのことばがわかりやすくなることには、私たち市民にとっても重要な意義があるということです。このとき専門家(医師や役人)に求められるのは、「内容の正しさを保障した上で非専門家にとってわかりやすい言い方でその内容を伝える」能力であり、ここでも「日本語から日本語への翻訳」が求められます。こうした「論理的でわかりやすい日本語」を「プレインジャパニーズ」と呼びます。

「プレインジャパニーズ」の能力が求められるのは専門家だけではありません。私たち市民にもこの能力が求められます。私たち日本語母語話者が日本語で行う必要がある最も重要な活動は何でしょうか?それは「自分が知っていることを相手に伝えて相手を自分の意見に同意させる」ことだと考えられます。例えば、「就職活動」や「商談」はいかに自分自身や自社の製品の良さを相手に伝えて、相手を説得することであると言えるでしょう。

こうした能力が日本人(日本語母語話者)にとって重要であるとすれば、ここで求められる日本語は医師や役所の職員に求められるのと同じ「論理的でわかりやすいことば」であるはずです。この意味で、「プレインジャパニーズ」はこれからの日本社会において日本人(日本語母語話者)全員に求められる言語能力であると言えます。さらに、「プレインジャパニーズ(わかりやすい日本語)」が日本社会に普及することは、これから日本社会に参加することになる外国人(非日本語母語話者)のような言語的マイノリティにとっても日本語習得の負担を減らす効果があります。このように、「プレインジャパニーズ」はこれからの日本社会にとって不可欠なものとなると考えられるのです。