2024.09.27

プレインランゲージが肯定文を推奨する理由

中村 新一さま
(株式会社エイアンドピープル 顧問)

2022年よりプレインジャパニーズ診断ツール構築に参画。2023年から東京大学とのプレインジャパニーズ診断ツールの共同研究に参画中。

中村 新一さま<br>(株式会社エイアンドピープル 顧問)

はじめに

文には肯定文と否定文があります。プレインランゲージは肯定文を推奨しています。なぜ、否定文ではなく肯定文を推奨するのでしょうか?
否定を表す「ない/ません」をもつ否定文について考えてみます。
なお、今回の検討は否定文理解に関する論理的側面です。否定文の心理的側面には触れません。

結論から述べます。
プレインランゲージが肯定文を推奨するのは、否定文が肯定文にくらべて理解が複雑になり、読者が誤解したり、理解に時間がかかったりする可能性が高いからです。

では、なぜ、否定文は肯定文より理解が複雑になるのでしょうか?

これには、否定文そのものの持つ複雑さと、否定文がその表現・理解ともに肯定文経由となることの2つが関係しています。
この2つから様々な問題が生じます。この問題として次の6つを挙げます。

  1. 理解に時間がかかる
  2. 否定と反対を間違える
  3. 間接的な理解となり、推測が入り、あいまいさが生じる
  4. 否定と主張のどちらに重点を置くかが文脈により変わる
  5. 情報価値が逆転する
  6. 文脈依存度が高い

まず、最初に否定文について情報共有し、その後、問題点を順に説明していきます。

否定文とは何か?

辞書によれば、否定とは「そうではないと打ち消すこと」です。文は「ある主張(の表現)」なので、否定文は「ある主張を打ち消す主張」であり、「ある文を打ち消す文」です。ここで、「ある文」とは、この否定文が打ち消す肯定文のことです。これらは一見単純に見えます。

しかし、「ある主張を打ち消す主張」は否定文の定義としてはあいまい過ぎて使えません。なぜならば、「ある主張を打ち消す主張」はたくさんあり、「ある主張を打ち消す主張」ではそれらを特定できないからです。例えば、「これは赤い」を打ち消す主張は「これは白い」、「これは黒い」、「これは青い」・・・でもあり得ます。「ある主張を打ち消す主張」ではこれらを特定できません。
否定文の定義としては「ある主張と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」としなければなりません。これは少し複雑です。

さらに、この否定文「ある主張と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」をよくみてみると、次の2つの働きがあることがわかります。
①「ある主張の打ち消し、すなわち否定」これは文に書かれており直接表されています。
②「(①で否定した)ある主張と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」これは文に書かれていません。したがって、読者が①から推測することになり、間接的な情報となります。

例えば、否定文「彼を嫌いではない」は、①で、「彼を嫌いである」を直接否定し、②で、「「彼が好きである」または「彼が好きでも嫌いでもない」」を間接的に表しています。

集合概念で言えば、否定文は対となる肯定文が表す集合を直接否定し、肯定文が表す集合の補集合を間接的に表します。補集合の範囲は通常明示されません。また、一般的に補集合はそのもととなる集合より広い範囲を表します。
否定、および否定文自体がもともと複雑さを持っているといえるでしょう。

1.理解に時間がかかる

肯定文は、なんらかの具体的事態を直接表しています。例えば「Aである」という肯定文はAという具体的事態を直接表しています。

これに対し、否定文「Aではない」は、対となる肯定文「Aである」を否定し、「Aである」と両立不可能なすべての事態を間接的に表すことによってはじめて文として成立します。つまり、否定文は対となる肯定文を経由してのみ文として成立するわけです。したがって、読者の理解も対となる肯定文経由となり、時間が余分にかかります。

2.否定と反対を間違える

「好き」の否定は「嫌い」ではありません。「好き」の否定は「好きではない」です。そして、「好きではない」は、「嫌い」と「好きでも嫌いでもない」の両者を間接的に表します。「好き」の反対が「嫌い」です。

否定とは「ある主張と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」です。
これに対し、反対とは「ある主張の対極となる主張」です。反対は否定の表す範囲の一部でしかありません。日常表現において、この否定と反対の混同が見られます。

例えば、「すべてのxはAである」の否定は「すべてのxはAではない」ではありません。
「すべてのxはAである」の否定は「Aではないxもある」です。
「すべてのxはAである」の反対が「すべてのxはAではない」です。
正確な文章を書くには否定と反対を論理学的に正しく区別し使用する必要があります。

3.間接的な理解となり、推測が入り、あいまいさが生じる

肯定文は、なんらかの具体的事態を直接表しています。

例えば「私は犬が好きである」という肯定文は「私は犬が好きである」という1つの具体的事態を直接表しています。これに対し、「私は犬が好きではない」という否定文が直接表しているのは、対となる肯定文「私は犬が好きである」が表す事態の否定だけです。否定文の定義である「ある主張と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」でいえば、否定文が直接表しているのは「ある主張」の否定だけです。残りの「両立不可能なすべての場合をカバーする主張」は、否定文が直接表している「ある主張」の否定から、読者が間接的に推測しなければなりません。この間接性、推測からあいまいさが生じます。

そして、読者が「私は犬が好きである」と両立不可能なすべての場合をカバーする主張を正しく推測すれば、それは「私は犬が嫌いである。または、私は犬が好きでも嫌いでもない。」となるでしょう。これは2つの事態です。肯定文「私は犬が好きである」が1つの事態を表しているのに対し、その否定文である「私は犬が好きではない」は2つの事態を表しています。ここでもあいまいさが生じます。

4.否定と主張のどちらに重点を置くかが文脈により変わる

先にも述べましたが、否定文は次の2つの働きを持っています。
①否定文が直接表している「ある主張の否定」
②否定文が間接的に表す「(①で否定した)ある主張と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」

この2つの働きの相対的な比率が文脈により変わります。

例えば、否定文「彼を嫌いではない」は、「彼を嫌いである」の否定より、「「彼を嫌いである」と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」である「「彼を好きである」または「彼を好きでも嫌いでもない」」の方に重点がおかれています。

これに対し、否定文「この主張は成立しない」は、「この主張は成立する」の否定に重点があり、「「この主張は成立する」と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」にはほとんど触れていないといえるでしょう。

このように、否定文には、「ある主張と両立不可能なすべての場合をカバーする主張」の方に重点をおく場合と、「ある主張の否定」の方に重点をおく場合とがあり、そのどちらであるかは文脈に依存します。したがって、あいまいさが生じます。

5.情報価値が逆転する

肯定文はそれ単独で情報を持っています。そして、情報の価値はその情報の希少性に依存します。普段経験しないような情報であれば情報価値は高く、常識的な情報であれば情報価値は低いでしょう。

これに対し、否定文は対となる肯定文を否定するので、その肯定文が持っていた情報価値も逆転します。

例えば、「私の家にトム・クルーズがいる」という肯定文は高い情報価値を持っているでしょう。一方、「私の家にトム・クルーズがいない」にはほとんど情報価値はありません。
否定文は、その対となる肯定文が筆者と読者の間で常識的なこととして情報共有されている場合に情報価値を持ちます。

6.文脈依存度が高い

ここでは、記述されている肯定文と否定文について考えます。
肯定文は、単独でも情報を持っており情報価値があります。

一方、単独な否定文は、情報価値がないわけではありませんがかなり低いといわざるをえないでしょう。これは、否定文が直接表しているのが、対となる肯定文が表す事態の否定だけで、具体的事態を表していないため、漠然とした消極的な情報しか伝えられないからです。

それでは、なぜ否定文がかなりの頻度で使用されているのでしょうか?
それは、文章内で、否定文が、その近傍に記述されている肯定文と対立し、文脈を完成させることにより高い情報価値を得ているからです。

これは、文と文との関係という点で見れば、否定文は肯定文より、その周囲の文への依存度が大きいということです。したがって、依存している文と合わせて理解することになり複雑さが増します。

例を挙げておきます。
・彼が当選すると思っていた。しかし、彼は当選しなかった。
・その主張は認められない。なぜならば、矛盾があるからだ。

補足:否定文は事態を直接表せないのか?

以上、否定文の問題点を説明してきました。しかし、本当に、否定文は肯定文経由でしか理解できないのでしょうか?なぜ、否定文は直接事態を表せないのでしょうか?

この点について最後に考えてみます。

まず、否定文「「Aではない」が直接事態を表せる」と仮定してみます。そうすると、その否定文「Aではない」はその対となる肯定文「Aである」に依存していないことになります。ということは、両者はお互いに独立しており、同時に主張できるということです。

しかし、否定文「Aではない」と肯定文「Aである」が同時に主張できるということは、「Aであり、かつAではない」と主張できるということです。これは論理矛盾です。したがって、仮定である否定文「「Aではない」が直接事態を表せる」は論理学的に拒否されます。よって、「「Aではない」は直接事態を表せない」が成立します。

やはり、否定文は直接事態を表せないようです。

おわりに

皆様は否定文をどのようにお考えでしょうか?

今回、プレインランゲージの視点から否定文の問題点を列挙しましたが、否定文はなくてはならないものです。本来、肯定文より否定文を使用したほうがよいケースもたくさんありますし、キチンとした使用をすれば否定文は素晴らしい効果を発揮します。

肯定文だけでなく否定文もよろしくお願いいたします。

なお、説明において以下の書籍・文献を参考にしています。
「よくわかる文章表現の技術Ⅲ」(明治書院)石黒圭 2005年
「否定表現の文脈依存性」(一橋大学留学生センター紀要 第2号)石黒圭 1999年
「新版論理トレーニング」(紀伊國屋書店)野矢茂樹 2006年