2025年11月にブリュッセルで開催されたISOの国際会議に参加した帰りに、スペインへ足を延ばし、サグラダファミリアを訪れた。
アントニ・ガウディによるサグラダファミリアは、幾多の時代の世相を反映し、自然をモチーフとして造られている。その姿は、一見すると奇異な建物に映った。しかし、同じガウディの作品である「ガウディの椅子」を目にしたとき、その印象は大きく変わった。サグラダファミリアとは対照的に、椅子のデザインは非常にシンプルで、装飾は一切ない。そこには、木そのものの美しさと、座り心地を徹底的に追求した造形だけがあった。その対照的な在り方に、大きな驚きを感じた。
帰りに併設されたショップで、ガウディの生涯を紹介する本を立ち読みした。そこで紹介されていた、彼の有名な逸話を読んだとき、思わず手が震えた。それは、弟子が「サグラダファミリアは、師の生存中に完成するのか」と問うた際に、ガウディが答えたとされる次の言葉である。
「私の依頼主(神)は急いでいない。」
その解説には、建築とは神、自然、社会のためにあるものであり、建築家はあくまで媒介者にすぎないというガウディの考え方が示されていた。サグラダファミリアは、彼の生涯で完成しないことを前提にしたプロジェクトであり、未完成のまま次の時代へと引き継がれていくことを織り込んでいたという。
驚くことにガウディは、後世の人間が自分と同じ方法で建築すべきだとは考えていなかった。後継者が、その時代に応じて解釈し、新しい材料、新しい工法、新しい感性を用いて更新していくことを認めていたのだ。ただし、根底にある理念さえ守られていればよい。そこには、「完成=固定」ではなく、「成長し続けるもの」として建築を捉える思想があった。
ガウディの椅子、そしてサグラダファミリアの解説を通して、私はプレインランゲージと相通じるものを強く感じ、改めて理念の大切さを実感した。
その時、国際会議で再会したClarityのJulie会長が、「まちこ。テクニックよりも、理念が重要である」と語っていた言葉が脳裏をよぎった。確かに、記述法やガイドラインといったテクニックにこだわるあまり、本来の目的を見失いかけてしまうことがある。手段である記述法は時代とともに変化することを受け入れつつ、「相手を理解し、そして理解してもらうため」という理念そのものは変わらない。むしろ、理念がすべての出発点であり、帰る場所なのだ。
現在、品川でガウディ没後100年記念事業として「ガウディ展」が開催されている。https://meets.naked.works/gaudi/

